「未読会」のすすめ

文学


インドの『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』は言うに及ばず、『アラビアンナイト』にしろ、中国四大奇書(『三国志演義』、『水滸伝』、『西遊記』、『金瓶梅』あるいは『紅楼夢』)にしろ、途方もなく長い物語が世の中にはいくつもある。日本だって『源氏物語』を筆頭に1週間やそこらではとても読みきれない長編の古典は少なくない。もう少し時代が下って、『ドン・キホーテ』や『ガルガンチュワとパンタグリュエル』、そしてさらに下って『モンテ・クリスト伯』『レ・ミゼラブル』『戦争と平和』など、いくつも挙げることができる。20世紀も負けていない。『失われた時を求めて』(これは小説としては史上最長でしょう)『チボー家の人々』『特性のない男』をはじめ十指に余るし、日本にも、『死靈』『神聖喜劇』『火山島』といったユニークな大長編がある。これに、児童文学やファンタジーなどを加えたらどうなるだろう……。

人生の時間は限られているし、こうした大長編を寝食を忘れて夢中で読むといったことはおそらく若い時にしかできないだろう。そもそも、例えば今挙げたような諸々の大長編を全部読もうなんて考える人には、「それをしたからといって、だから何なんだ?」とちょっと嫌味を言ってみたくなる、何か違和感のようなものを感じるのではないか。しかしそうだとしても、「時間がかかってもいいから読み通してみたい」という(文学に限らず様々な分野の)作品の10や20は、誰しも心に抱いているのではないかと、私は想像している。

じつは私は、この「いつか(死ぬまでに)読んでみたい―あるいは読もうとしたけど途中で挫折してしまった―憧れ(?)の大長編」のことを、皆で語り合う機会があれば、大変面白いのではないかと考えている。読んだ本のことを語り合う(あるいは一緒に読み進めいていく)のが「読書会」だとすれば、読んでいない本のことを語り合うのを「未読会」とと名付けようか。「読んではいないけれど読みたい」というのは、たいていは有名な古典であったり名作・名著として流通しているものが多いだろうから、それについて、何らかの「惹かれるわけ」を探ると、共通点がいろいろ出てくることになる。それを互いに確かめ合っていくと、「この人となら一緒に読み進めてみると完読できるかもしれない」という相手を見つけられる可能性が高い。

途中で挫折しやすい大長編は、今述べたようないい「未読会」で出会った同志と―3、4人くらいがいいと思う―、無理のないペースで、メールやオンラインでの語り合いも交えつつ読むのが、「一気読み」「徹夜読み」ができなくなった、でも知的な好奇心は衰えていない、中高年者には一番いいのではないだろうか。

【旧ブログ 2023年 12月 26日】

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