私は今まで2度、養鶏場を見る機会があった。
鶏たちが見るも無惨な過酷きわなりない所に押し込められていることが、詳しい説明を聞くまでもなく、身体に響くように伝わってきて、息苦しくなるのを抑えることができなかった。
なのに、スーパーなどで売っている卵は、とにかく一番安いものを選ぶ、という習慣を改めるには至らなかった。目に焼き付いているはずのあのシーンを、とにかく自分のなかで封じてしまうことで、どうにかやり過ごしてきた、ということなのだと思う。
次のような文章を書いてきたにもかかわらず、である。
連載「生命へのまなざしと科学」(2)あなたは動物を苦しめていませんか(1)
連載「生命へのまなざしと科学」(3)あなたは動物を苦しめていませんか(2)
でも、昨日、次の文章に出会って、「それはもうダメだ、他の人が何と思おうが、自分にはもう許されない」と、追い詰められることとなった。淡々と事実を克明に記すことの力を、ここまで思い知らされることになろうとは。
スーパーの卵棚の裏側:ケージ卵に隠された鶏の現実 — 泉 史子
私は、もう、安い卵は買わないことにした。平飼いが確実になされているものしか買わない。1週間に1個か2個をありがたくいただく。それでいいではないか。
いろんな選択があるとは思う。でも、自分の選択としては、もうこれで決まったのだ。
少しでも動物たちを苦しめないように何ができるかを考え、行動に反映させていく。
この文章を書いた泉史子さんに感謝する。あなたの文章は少なくとも1人の人間の行動を変えることになりましたよ。