皆さんは、朝に必ず意思的に実行する何か、を持っておられたりするだろうか。
「ラジオ体操をする」「新聞を読む」「庭の植物の世話をする」「犬の散歩をする」「野菜ジュースを飲む」……。
こうしたことを他人と語り合ったことはあるだろうか。
私は起床して立て続けに、次のような諸々の事柄を、それこそ息も切れるような(?)慌ただしさで、こなしている。
起床→よくうがいをしてから水分補給→トイレ(語学の勉強)→ストレッチ→お風呂(声のメンテナンスのためのある練習)→髪や皮膚や爪などの手入れ(ごく簡単な方法で)→朝食(自分なりの老化対策を見込んだメニューで10分で作って食べる)→ゴミ出し→庭の植物の世話→(週1回くらいの)洗濯→TV番組の予約や録画したもののダビング→ネットで購読している音楽サイトのチェックやラジオ番組の録音のチェック→そしていよいよ「勉強」……。
どんなにがんばっても、この「勉強」に入るまでに、2時間近くかかってしまう。午前6時頃からスタートして9時くらいには家を出て市民科学研究室事務に向かうから、正味「勉強」ができる時間は3時間ほど。
この1日3時間ほどをあてて1週間で(合計20時間くらい?)、自分なりに小分けして選定した何らかの「テーマ」―例えば「森鴎外」「ロシア革命」「遺伝子組み換え」「群論」といったような概説書や教科書ならそのまるごと1冊に相当するような―に関する主だった書物など(この選び方が肝心といえば肝心)を読んでいく。毎回、当然だけれど「1週間でやれることはやっぱり限られているな…」という感じを覚えるが、1週間で自分なりにできるところまで詰めて、次の週には、できるだけ新たなテーマに挑む、という具合にしている。
そんなことを続けていると、人生の時間は限られている、とだんだん強く思うようになるのだが、実際は、3時間も集中して勉強するのはなかなか大変で、なんとか一気に駆け抜けるようにそれを済ませれば、「自分が今できるところまではやった」という清々した感じが残る。なので、先のことで思い煩ったりすることはまずない。
こんなスタイルがいつか終焉を迎えるだろうことは確実だが、だからといってこのスタイルを変えなければいけない、というわけではない、と自分に言い聞かせている。