選挙するのに不要なもの

省察

選挙のたびに思うことがある。

選挙カーで、スピーカーでがなり立てながら自分への投票を候補者本人や「ウグイス嬢」が連呼すること。

候補者のポスターがずらりと並んだ立て看板(掲示板)。

これらはもういらないのではないか。

昔あった「電話帳」が姿を消したように、ネットで候補者のことをいろいろ調べることができるようになった以上、無駄な宣伝は消えてほしいと思う。

その代わりに欲しいのは、一方的に公約や政見を述べる、NHKで流される「政見放送」や新聞と同じ判型の「選挙公報」に加えての、候補者どうしのTV討論会であり(公民館などでそうした討論会が開かれ、それがうまく選挙区全体を巡るようにして、ネットでも配信できるようになれば一番いい)、各候補者の政見を比較分析し批評した信頼できるサイト―候補者の過去の政治的業績や主張(自身の発言など)をまとめるだけでもいい―の構築である。どうしても顔写真で印象付ける必要があるというのなら、公の場所に大型のTVモニターを置いて、顔写真と主張の文言を大写しにて選挙期間中流しておけばよい。

誰を選ぶかはなかなか難しいとしても、だれを落とすべきかは、こうした討論会やサイトを見れば、誰にとってもはっきりしてくるだろう。「◯◯党/◯◯候補に入れよ」と、投票を組織的に動員がらみで強いるのは論外で、民主主義はそうした「自分で判断しない」ことに取り込まれてしまうところから崩れ始める、と私は考えている。

「自分で判断する」のに、選挙カーもポスター掲示板も不要なのだ。早く廃止にしてほしい。

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