落ち着きのない世界

省察

デジタル機器のために、世界がどんどん落ち着かなくなってきているのではないか―私はそう感じることが多い。その感覚からどうやって逃れることができるか、どうやって落ち着きを取り戻せるか、に悩んでいる、とも言える。

私が携帯電話・スマホを持たないで過ごしている主たる理由もこれだ。

「落ち着かない世界」の様相を端的な一例で示すと、それは「手紙を書くことがなくなる世界」である。

相手のことを想いながら便箋に筆を走らせ、書き損じを繰り返しながら文面を仕上げ、封書にして投函する。その返信は、いくら早くても自分のもとに届くのは3、4日後であり、相手からの返信を「心待ちに」している時間の間隔があることで、自分が送った言葉を心のなかで反芻し、相手がどう反応してくれるかを想像する余裕が生まれる。このような時間のかけ方と待ち方は、もちろん、それほど数は多くないだろう限られた相手に対してだけできることであり、そうであるからこそ、「落ち着き」のある人間関係―言葉のやりとりで育んでいくことができるという質を持った友情や愛情―を築いていくことにもなるのだろう。

私は幾人かの昔の作家などの書簡集を読んだことがあるが、今の時代に失われつつある「落ち着き」をそこに感じることが多い。すなわち、自分を見つめながらじっくりとその思いや考えを言葉にし、それを相手に伝えるというやりとりが、そこにあり、それが手紙の送り手と受け手の双方にとって豊かな時間の過ごし方になっている、という印象をそうした書簡集から受けるのだ。

私たちにとって、もし友人・知人との言葉でのやりとりの多くが、慌ただしくメールを返したり、(どこにいても通じるという前提で)即座の返事を求めてスマホで電話したりすることに終止しているとすれば、この「落ち着き」はすでに想像の埒外になってしまっている、と言えるのかも知れない。

私たちはもう誰も「書簡集」を残すことのできない時代に突入してしまったのだろう。

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