電車内でピアノ曲を暗譜する人

生活

電車内「奇譚」ではなく「喜譚」と思える体験の話。

今日日比谷線に乗っている時に隣に座っている女性(40歳くらいか?)が楽譜を見ながら、ピアノの運指の練習をしていた。

片手で楽譜を持つのだから、もう一方の手の指を楽譜に合わせて動かすわけだが、空中で指を動かすわけにいかない(そうする人もいるだろうけれど)。膝の上などで行う人が多いとは思うが、その人は、右手で楽譜を持って、その右腕の前腕を鍵盤に見立てて、その上で左手の指をあてて動かしていた。もちろん、鍵盤そのものの広さを前腕が持っているわけはないので、指の動きもポイントポイントをおさえた簡略化したものになっているはずだ。

隣りに座った私からは、その指の動きがよく見える。かなり速い動きで、「どんな曲なのだろう」と興味に駆られた私は、気づかれないように、楽譜をチラ見する。アルペジオらしき音型が頻出している、けっこう難易度の高い曲に見える。あまり長く眺めていると気づかれてしまうから、チラッ、チラッを繰り返したが、「ひょっとしてショパンのあの曲かな、違うかな……」くらいしかわからない。

時々その女性は、手の動きを止めて、楽譜と一緒に右手に持っていた鉛筆で、楽譜に何か書き込んでいる。

五駅ほども通過する間、そうしたことを集中して繰り返していたが、車内の冷房の風が身体にあたって寒いのか、カーディガンを羽織り、最後には、風のあたらない空いた席に移動して、次の駅で降りていった。

顔や表情はまったくわからず、目に入ったのは指と腕と後ろ姿だけ。

家で音楽を聴く時は、指揮者やピアニストの真似をして身体、腕、手を動かすのが習わしになっている私には、電車の中で音楽を聴くのはちょっと危ない。音楽に集中すればするほど、つい、身体を動かしてしまうからだ。だから、できるだけ車内では聴かないようにしている。

でも音楽を聴かなくても、今でも立ちながら(本を読むのが辛くなる場合に)何らかの曲を頭のなかで再現している時は、自分の左右の太ももに左右の指をあてて、ピアノを弾く動作を―たぶん目立たないように―してしまうのが、癖になってしまっている。

こうした、周りのことをまったく気にすることなく―もちろん誰の迷惑にもならない―おそらく暗譜のために一生懸命練習している人の姿を目にすると、私はなんだか自分に近しい人のように感じてしまい、まったく知らない人なのに応援したくなるのだ。

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