日記は1週間交代で、いろいろな出来事とそれへの感想―読んだ本のこと、授業のこと、数学や英語の問題でわからないとこと(上の学年の私が解答する側だが)、委員会のこと、学校行事のこと等―を記して、「Aさんはどう思いますか?」「上田さんはどう思いますか?」と投げかけて毎回を閉める、という感じで1年ほども続いたのである。
今思えば、これがもっと続いていれば、何らかの本格的な恋愛に発展していたのではないかという気もするが、我ながら驚くのは、交換日記をしている最中は、そんな気配を微塵も示さなかったということだ。Aさんのことがとても好きであるにもかかわらず、好意を示すような言葉を口にしたり、特別なふるまいをしたりすることは何一つなかった、ということだ。確か、ドストエフスキーの『罪と罰』を読んだ直後にソーニャのことを話題にしたり、『車輪の下』や『ジェイン・エア』を勧めてAさんがそれを読んでとても心を動かされたりした、といったこともあったから、恋愛の何たるかはお互い少しはわかっていたはずだが、まるで兄と妹であるかのように、二人ともそうした感情のことはまったく口に出さなかった。もっと驚くのは、二人っきりで家の中で数時間過ごすことができるように、大胆にも自分で「工作」しておきながら、その際に、告白の「こ」の字にも及ばなかったことだ。
大阪市郊外に別荘を持つある方から、「しばらく家を空けてしまうので、掃除と防犯の点検を兼ねて、一度その家を見てきてほしい」との依頼を私の母が受けた。それを聞き及んだ私は、Aさんの家がそこからそれほど遠くないとわかったので、これ幸いと「それ僕がやってあげる」と申し出たのである。Aさんに「掃除を手伝ってくれる?」と持ちかけて、ある日曜日をその家でAさんと過ごすことにしたのである。Aさんの親から見れば、犯罪まがいととられかねない、危ない行為だろう。でも、Aさんは何の疑念も躊躇も抱くことなくやってきてくれて、庭掃きなどの掃除を手伝ってくれた。その後、お茶を入れたり、一緒にお弁当を食べたりすることもなく―そんなことを思いつきもしなかったのだ!―ただ、縁側のような所に座って2時間か3時間ほどいろいろな話をしただけだった。もう半年近くも交換日記を続けているのだから、そんなタイミングにこそ、恋情を告白して手を握るくらいのことはあってもよかったのに。二人の頭の中では「男女が交際する」「つきあう」ということの具体性を持ったイメージが結ばれてはいなかったようだ。良い先輩・後輩としての関係があたりまえのようにずっと続いていることで、二人ともそれで十分幸せを感じていたのだと思う。