日本人の誰もが知る代表的な四季の歌というと、
・春……めだかの学校
・夏……夏の思い出
・秋……小さい秋みつけた
・冬……雪の降るまちを
になるのではないか。
いや、春は「春の小川」でしょう、とか、「春が来た」「さくらさくら」でしょう、とか、いろいろな意見はありそうだ。でも、上記の4つの歌を挙げることに強い異論を挟む人はそうはいないだろう。
じつは、この4曲がすべて一人の作曲家の手になるものだ、と言えば、かなり多くの人が、「えっ、そうなの?」と驚くのではないかと、私は思っている。
その作曲家は中田喜直。2000年に亡くなって、昨年(2023年)に生誕100年を迎えた、戦後の日本の代表的な作曲家の一人である。
私もまた、大多数の日本人と同じように、作曲者の名前などまったく気に留めないままに、この4曲になじんでいた。
だが、高校生の時に何かのきっかけで中田喜直の「女声合唱曲集」というレコードを聴く機会があり、深く魅了されて、忘れられない作曲家となった。
じつにシンプルな、でも一度聞けば絶対に忘れられない、次のような曲は、その美しさの秘密はどこにあるのだろう。私は耳でたどることのできたピアノ伴奏のパートを、拙いながらも自分で鍵盤をなぞってたどって再現しながら、いろいろ思案にふけったのだった。
女声合唱曲集 ぶらんこ
女声合唱曲集 ねむの花
決定的だったのは、次の曲(とまさにYouTubeにあがっているこの演奏)に出会ったことだった。
女声合唱組曲「美しい訣れの朝」
この曲を初めて聴いた時の驚きといったら……。音楽的な洗練(ピアノパートは相当に難しい)と詩の内容の迫真性が一体となって、決して難解な様相を帯びることなくあまりにも直截に自分のなかに飛び込んでくることに、圧倒され、涙なくしては聞くことができなかった。例えば、最終曲の「赤い風船」の「……駅前通りがまっすぐのびて」に至る部分での転調には、まったくその光景が目に見えるような―つまり空に上っていくこの「訣れゆく」女性に自分がなった感じにさせられて―何度聞いても、その素晴らしさに今でも心が震えるのだ。)
そしてまた、ラジオ放送で聴いた、寺山修司が作詞し中田喜直が作曲した歌曲集『木の匙』。当時人気のあったバリトンの立川清登とソプラノの島田裕子が歌っていたことをはっきりと覚えていて、カセットテープに収めたその曲を―そのカセットを失ってしまったのがとてもとても残念だが―何度繰り返して聴いたことか。ある友人の結婚式で、私はこの中の第6曲目の「やがて生まれてくる子のための子守唄」を歌ったこともある。
これほどの名曲の名演が今はまったく聞くことができないとういことが(第10曲目の「悲しくなったときは」だけはかなり頻繁にコンサートやCDで取り上げられる)、あまりにも残念で、そのことについてはもう語る言葉が出てこない。
立川清登は一時期、TVなどにもよく出ていた人気の存在だったようなのだが、私にとっては團伊玖磨の『夕鶴』(作曲者自身の指揮によるレコード)で「運ず」の役をしていることで、何よりも身近な歌手となっていた。
團伊玖磨:歌劇『夕鶴』
私は、信じてもらえないかもしれないが、この1時間40分ほどのオペラを何度も聴いて、隅から隅まで諳んじて歌えるようになってしまったのだが(もちろん女声のパートなどはオクターブを下げてだが)、そのようにして「歌・声・合唱」になじんだ経験が、自分の音楽への感性をどこか根底的なところで規定してしまったように思えてならないのだ。
高校時代から大学にかけて、このような「歌」への没入を導いてくれたのは、中田喜直の歌曲・合唱曲との出会いがあったからだったことを、深い感謝をこめてここに記しておきたいと思う。彼の生誕101年に思いを致して。
(写真は『ウィキペディア(Wikipedia)』の「中田喜直」より)