私はピアノがとても好きで、弾くのはほんとに初歩的な曲しか弾けないのですが、聴くのは相当幅広くいろんな曲をいろんな演奏で聴いてきた方だと思います。心深く食い込む、自分にとっての名曲は、その「名曲」たる秘密を、楽譜を手がかりに解き明かしてみたい、という強い欲求にかられることが多いので、まがりなりにもピアノをいじりながら、音符をたどるのは、そうすることで何を自分なりに発見できるかは別にして、特別に意味のある時間になるのです。ない金をはたいて、主に古本屋で買った楽譜は300冊くらいになるでしょうか?
残念ながら、そうして、他の人からみればまったく無駄に過ごしているようにみえる、たどたどしいピアノいじりができたのは、高校時代と、大学時代に帰省した折だけで、部屋にピアノを置くなどとても望めない生活がその後長く続いていますから、時々思い返したように、文字、つまり楽曲分析や専門的な伝記などを読むことで、その渇きを癒している、といった状態です。
一流の演奏家が、自らの言葉で、作曲家のイメージを語り、楽曲分析をする……そしてそれが無類に面白い……ということに出くわすのは、そうたびたびあることではありませんが、ドビュッシー生誕150年にあたる年に、偶然見つけた次の動画は、そうした類の経験の、最も忘れがたいものの一つ、だと言えます。
Debussy 12 Etudes : interview Mitsuko Uchida part1 (Germany) 日本語字幕付
Debussy 12 Etudes : interview Mitsuko Uchida part2 (Germany) 日本語字幕付
中学、高校時代に大好きになって、繰り返し繰り返し、好きな部分を断片的にピアノでなぞったドビュッシーの音楽ですが、20歳くらいの時に聴いた、晩年の作品である「練習曲集」は信じがたいほど魅力的で、「宇宙的な響きと、音で遊ぶことの自由さの極限」みたいなものをそこに感じて、以来、変わることなく、私の最も好きなピアノ曲であり続けています。その秘密を自分なりに探ってみようと、特に気になるところを楽譜でたどって幾度繰り返し弾いたことか……。でもほんとに、どんなにゆっくり弾いたとしても、それなりに「音楽」になるように再現しようとすると、指使いをはじめ皆目検討がつかないくらい、「いったいこれをどう弾けばよいの?」という箇所が多くて、一流のピアニストによる優れた演奏がいかに隔絶した技量に支えられたものであるかを、ため息をつきながら確認するばかり……といった感じだったのです。
ピアノが相当上手に弾ける人でドビュッシーが好きな人は多いでしょうから、いつか、この曲の独特の感じを分かち合いたいものだと思っていますが、そのことで、一つ思い出すのは、大学生のときに知りあって好きになったある女性(年下の学生さん)が、ご両親が音楽家でその人もピアノが上手そうだったので、初デートにこぎ着けた際にいろいろ話をするなかで「どんな曲を聴くの?」「どんな曲が好き?」といったやりとりになったので、思い切って「ドビュッシーの練習曲集が一番好きかも……」といったら、相手は「ああ、あの難しい曲ね…」と言ったきりそれ以上の反応が途絶えてしまった、ということがありました。その後、この曲について他の人と語り合ったことはありません。(何も、その後その女の子にふられて、つきあってもらえなかったからではありませんが……。)
私が最初に繰り返し聴いたのは、ミシェル・ベロフの若いときの録音で、これはベロフ自身が再録していますね。幾種類もの演奏を聴きましたが、私にとって最高の演奏は内田光子のものです。
もし仮に、「音で遊ぶこと、自由の極限」を最も強く感じさせてくれる曲は? と尋ねられれば、12曲中の11番目「組み合わされたアルペッジョのための」を選ぶでしょう。この曲こそ、私にとっての「生きることの自由」を最大限に象徴する随一の曲、といえるかもしれません。
内田光子さんのドイツ語のインタビューは、実演を交えながら、この曲の魅力の神髄に迫るものだと思えます。