タイマーを使う意味

生活

タイマーをかけて作業する、ということにはどのような意味や利点があるのだろうか。

タイマーは分刻みで時間を管理する道具として使われるのが普通だが、おおまかな一日のスケジュールのもとに日常を過ごすことがあたりまえになっているなかでは、タイマーを使わずとも時計による時間管理にのもとに私たちは常にいる、と言っていいだろう。

おそらく近代以降に成立しただろう「時間を効率的に使う」習慣は、私たちに恐ろしいまでに浸透していて、「時間を無駄に過ごすこと(生産性がないこと)=無為=人生を無駄にすること」という観念から逃れることがとても難しくなっている。それがゆえに、何事も計画を立ててその通りに事をすすめること、が重んじられることになり、それからの逸脱には非難や叱責さえも投げかけられることになる。

小さい子どもは、今日のという一日がまるで一生であるかのごとく、先を思いやることなくその日を過ごすかにみえるが、ほとんどすべての大人はその感覚を持てなくなって久しい、と言えるだろう。

しかし、考えてみると、後先のことを思い煩わず、時間の経過を気にすることなく、今この時がすべてであるかのように過ごすことが、最も濃密な時間の過ごし方だ、ということには誰もが同意するだろう。とすると、「時間を忘れる」ことが時間の使い方の極意ということになりはしないか。

私は「時間を忘れる」ことを、「無為」と「集中」という2つの面から考えている。

「無為」は、まったく無目的に、ある環境や自然や風景のなかに身を晒して、そのなかで聞こえてくるもの感じ取れるものを、ただひたすら受けとめようとすること。人が、海を見に行ったり、星を眺めたりするときの感じ、といえばいいだろうか。この「無為」が持つ深い意味については、いずれ詳しく論じてみたい。

「集中」は逆に、世の中にだたそのことしか存在しないかのごとく、他の一切を忘れて、ある作業にひたすらのめり込むこと。一日に何度も何時間もできるわけでは決してないが、それができた時には、計画どおりに事をこなしたというのとは異質の、別の充実感がある。

タイマーはそうした集中をうまく作るためにこそ活用されるべきではないか、と私は思っている。

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