「誤訳」を徹底的に撃つ本

本の話

あなたは有名な文学作品やベストセラーになった作品の日本語訳が、とうてい見過ごし難いレベルの誤訳に満ちているのに、それが世の中に流通してしまっている―という例をいくつ知っているだろうか?

私は原書でなんとか読める(読み切れる)のは英語のみであり(翻訳書を横に置いて照らし合わせながら読んだドイツ語とフランス語の短めの小説はある)、それも翻訳が出ていないからこそ原語で読む場合がほとんどだから、そのような例を自分で見つけるにはまったく至らない、と言える。もちろん、翻訳ですでに読んでいるものであっても、その作品がとても気に入っているので、改めて原語で読む、という場合も少数ながらありはする。でも幸い、「えっ、これは誤訳ではないの?」と、日本語訳を思い返しながら、気付かされた例は、これまでになかったように思う。

では、見過ごし難い誤訳の例があることを―したがって見る人から見れば誤訳が誤訳のまままかり通っているのを看過できなくなる現状があることを―、何によって私は知ったのか。それは次のような、特定の「誤訳本」を取り上げてまるまま1冊をその訂正と批判にあてるという、渾身を込めた著作に触れたことによってである。

1)ロビン・ギル『誤訳天国: ことばのPLAYとMISPLAY』(白水社1987年)

言葉のおもしろさや不思議を書いたピーター・ファーブ(Peter Farb)著の『ことばの遊び―人が話すとき何が起こるか』(原著は”Word Play”)の、英文学者である金勝久による訳がいかに誤訳だらけのひどい翻訳であるかを、皮肉を込めつつ、逐一克明に、かつ言語学のいろいろな側面に光をあてながら、縦横無尽に論じた本。絶版であるのが悔やまれる。

2)北村富治『「ユリシーズ」案内―丸谷才一・誤訳の研究』(宝島社1994年)

丸谷才一らによる旧訳の『ユリシーズ』(河出書房新社)が間違いだらけであることに気付いた、銀行員である著者が、欧州滞在7年を含めて、実際にダブリンを訪れ、世界中のジョイス研究者らとやりとりを重ねて、徹底的に自身でこの難解な作品を読み解いた。この本が出て3年後に、丸谷らは新訳を出した(そのあたりの経緯に触れた文章にこちらのものがある)。

明らかにこの北村氏の本が訳し直しを強いたのだろう。でも北村氏がこの著書の刊行前に丸谷才一に疑問点を手紙で問うたところ、まったく梨の礫だったという。「ひどい男だな、この丸谷という小説家は」という気にさせられる。

3)木下和郎
PDF版 亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』がいかにひどいか
PDF版 航行記(2006~2008年)


ベストセラーにもなり、各界の著名人が称賛してきた『カラマーゾフの兄弟』の亀山郁夫・訳(光文社古典新訳文庫)。木下氏が、ドストエフスキーのこの作品を心底から偉大な作品だと思うからこそ、亀山郁夫・訳がいかに作者の真意を捻じ曲げた勝手な解釈でなされたものであるかを、執拗に徹底的に暴いている。上記2つのPDFはあわせて、600ページにもなるが、その迫力でほとんど一気に読ませる。「文学作品の中身を正確に読み取っていくとは、こういうことなのか」と身につまされる箇所も数多くあって、付和雷同で「亀山訳への称賛」の輪に加わってきた人たちが、とても軽薄に見える。

どうだろう、翻訳という作業は、(不勉強から来るだろう)いい加減な身勝手な解釈が「誤訳」となってはっきりと刻印される、きわどい作業なのだ。だからこそ、立派な翻訳を成し遂げる翻訳者には心からの敬意を捧げるべきなのだと思う。

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