私は手軽に手に入る『名言集』の類がかなり好きで、古書店で面白そうなものを見つけると買ったりしている。
2024年も、古い岩波新書で桑原武夫・編『一日一言―人類の知恵―』(1956年刊)というのを、風呂の中で少しずつ朗読して読み終えた。その時気づいたのが、この名言集には、おそらく私の世代以降の人たちの大半がその名を知らないだろう、中国の文人、思想家、画家などがそれなりにたくさん引かれている、ということだ。歴史に名を残すような西洋の偉人や賢人たちに比べて、中国、インド、アラビアやペルシャといった東洋・中東地域のそうした人々のことは、極端と言っていいくらい、私たちはほとんど知らないのではないだろうか。
そんな気がしたので、数年前に手に入れて未読のままだった『東洋の名言』(吉野三郎編、現代教養文庫、1962年刊)を今年からゆっくり読み始めているが、驚くべし、イスラム圏の偉人の言葉こそ割合的には多くないものの、中国の古典、インドの経典、仏典、ペルシャやアラビアの古典から、ふんだんに「名言」を紹介している(ご自身による短いコメントを添えて)。これらはすべて、自身で読書した際に「朱をしるしたり、抜粋したりした語句」であるという。
じつはこの吉野三郎という人には、私は随分前(高校生時代)に別の翻訳書で出会っいて、それがじつに素晴らしい本だったので、以来愛読書として大切にしてきた(親しい友人にプレゼントしたこともある)。それは、同じく、今はもう消えてしまった、現代教養文庫の一冊の『幸福の追求』(マッキーヴァー・著、吉野三郎・訳、1957年刊)という本だ。
もちろん、社会科学を多少でもかじった人なら、このマッキーヴァー(Robert Morrison MacIver)という名は知っているはず。私は、大学生の時に中央公論社の『世界の名著』シリーズにこの社会学者の『権力の変容』(1964年)という本の抄訳があることを知り読んだのだが、その序論的なところでその当時に至るまでの19世紀・20世紀の歴史の流れを要約している部分があって、「歴史ってこんなふうに大づかみにしてみることができるか」と痛く感動したことを覚えている。
吉野三郎という人は、私が持っているこの2冊の文庫の奥付に記されている経歴以外は何も私は知らないのだが(※)、
※ 1906年生まれ、一橋(旧・東京商科)大学、東北大文学部卒。「文筆に親しむかたわら、商事会社、文化団体に関与」。訳書などが20数冊。
大変な教養人であり、読書家だったと思われる。学者にはならず、しかし、こつこつと楽しみと自己修養のための読書を深めつつ、語学の勉強も続けながら気に入った書物の翻訳を手がけ、心に残った言葉の数々をノートにしたためていく―会社役員・団体役員を務めながらそのように過ごした人の姿が思い浮かんでくる。
『東洋の名言』を読みすすめることが楽しみだ。