『神奈川大学評論』のこと

書物

今日、『神奈川大学評論』という雑誌の最新号が届いた(通巻105号、年に3回発行)。

私は先だってこの雑誌の定期購読を決め、年間購読料2800円を支払ったのだが、なんと編集部から「著者には1年分は無償でお送りします」との連絡をいただいた。なので、支払った代金は来年の3冊に充てられることになる。

そういうと、「書いた原稿の原稿料のかわりにということなのか?」と思う人もいるかもしれないが、決してそうではない。むしろ今までいろいろ書いてきた雑誌のなかでは最も高額な原稿料をすでにいただいている。

その原稿は、こちらに示した、ウクライナ戦争での劣化ウラン使用についての論考だ。

この原稿に注目されたある団体から、オンラインでの講演を依頼されたこともある(こちらにその動画が掲載されている)。

これは、長く神奈川大学の教授を務められて、この『神奈川大学評論』にも深く関わってこられただろう、科学史研究者の故・常石敬一氏―医学者の戦争犯罪、とりわけ731部隊のことでは日本の第一人者として知られる―がお亡くなりになる直前に(4月24日逝去された)、ウクライナ戦争で劣化ウラン兵器を英国がウクライナに供与するという事態を案じて(ニュース報道は3月)、編集部にこの問題での論考を入れるよう打診され、その筆者として私を指名されたようなのだ(編集部の方からのメールからそう推察できた)。

原稿の依頼をいただいたのが4月。8月の締切までに、私も一生懸命資料などを読み込み、原稿を仕上げた。生前に2度ほどお目にかかったことのあった常石先生の御冥福を祈りつつ、その原稿を書き進めるという、かつてない執筆体験になった。

11月に発刊された送られてきた掲載誌を克明に読んで、この雑誌のレベルがじつに高水準で、どの論考や記事も読み応えがあることがわかり―以前にも時々目にして一部をコピーなどしていたことはあったが―定期購読することを決めた。

書店に並ぶ総合雑誌が、おそらく『文藝春秋』を除いて、のきなみ購読者を減らして消えているなかで、『神奈川大学評論』はなんとしても生き延びてほしい雑誌だ。試しに、大型書店で手にした際に、雑誌の後ろに載っている書評ページだけで眺めてみてほしい。一般受けはしないかもしれないが、心を込めて読む労を払ってみたい新刊の重要作がいくつも詳細に論じられている。

大学から、このようなレベルの高い雑誌が一般向けに出され、それが続いているというのは、極めて稀なことだ。そこに、この先の日本の文化活動の一つの希望を見出させるように感じるのは、決して私だけではないだろうと思う。

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