一生で知り合う人、やり取りする人、付き合う人の数

省察

普段使っていてるGmailが先日「アクセス不良」となり、その原因のひとつに「登録メールアドレス」(連絡先)の数が多すぎる」ことが挙げられていたので、さっそくGmail画面の右斜め上にある「Google アプリ」を開いて、「連絡先」から、今後使わないだろうメールアドレスを思い切って削除した。そうするとメールは正常に戻った。

Gmailを使い始めたのは2007年くらいからだと思うのだが、それ以来、こちらから個人メールを一度でも送った人のアドレスがずっと蓄積していたことになる。どれくらいの数になっていたのか、ちょっと検討がつかないのだが、上記の消去のための作業をとおして、次のような分量の割合になっていそうな感じがした。

A・まったく名前の記憶がない人……70%
B・名前の記憶があってもどういう人が思い出せない人……25%
C・名前もどんな人かもよく覚えている人……5%

最後の5%のなかに、「今も普段メールのやりとりをそれなりの頻度でしている人」が200人ほど含まれていて、そうでない、つまり「ここ2、3年はメールのやりとりをしていない人」がその2倍くらいいる感じだ。

これで逆算すると、Cが600人として、Bが3000人、Aが8400人、となる。
つまりごく大雑把に見て、ここ15年ほどで、1万人弱の人とメールを交わし、そのうちせいぜい名前が記憶に残るのが3割で、今もやりとりをしている人が200名くらい、ということになる。

これは私がなんとなく正しいと感じている、「たいていの人は、いろいろな活動で知り合う人(例えば名刺交換する人)が生涯で1万人くらい、そのうちやりとりが生まれる人が1000人くらい、そして親しく付き合うのが100人くらい」という社会学的な(?)仮説に、ちょっと似た傾向があるのが面白い。もちろん「知り合う人」の数は職種や置かれた環境によって大きく変動するが、「親しく付き合う」には上限があって(一生でせいぜい1000人までだろう)、その両端の制約が効いて真ん中の階層の「やりとりがある」の数が決まってくるのだろう。この3つの階層の割合がどうなるかは、その人の社会行動と社会的認知のパターンをかなり反映するものとなっているのではないか、というのが私が推測していることなのだ。

タイトルとURLをコピーしました