高橋多佳子『ショパンの旅路』第Ⅵ集を聴いて

音楽

◆ショパンの旅路 vol.6「白鳥の歌」~ノアンとパリ3
高橋多佳子(ピアノ)
録音:2003年11月25-27、29日 ワルシャワ・フィルハーモニー大ホールにて収録
オクタヴィア・レコード=エクストンOVCL-00168 
◆ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 作品58/3つのマズルカ 作品59/舟歌嬰へ長調作品60/ポロネーズ 第7番 変イ長調 作品61「幻想ポロネーズ」/ノクターン第17番ロ長調作品62-1/マズルカへ短調作品68-4(遺作)

 「ショパンの旅路」の先の第Ⅴ集を聴いた人なら、きっとこのたびの第Ⅵ集に大きな期待を抱いて耳を傾けたことでしょう。私自身にしてもCDの新譜をこれほど待ち望んで手にしたことはめったにありません。

 最初にCDを聴きとおしたときは、その激しい表現にとまどいを覚えてしまうほどでした。でも聴きこむにつれて、ソナタ第3番にしろ幻想ポロネーズにしろ、これまでは自分にとって印象的なところだけをつなげて、いわばつまみ食い的に聴いていたにすぎなかったのだと思い知らされました。最初のとまどいは、自分の中でショパンの音楽のイメージが変わることで引き起こされた反応だったのだと、何度も繰り返して聴いてみて分かったのです。
 
 高橋さんの演奏は、じつに類まれな水準に達していると思われます。聴く者が、その深く、精緻で、スケールの大きい演奏にふれて、晩年のショパンが抱いた想念と心情を自身で想像しないではいられない――そのように人の心をしかとつかむ迫真の表現がここにはあります。それは高橋さんというピアニストのまぎれもなく個性的な解釈・表現でありながら、それが高橋さん自身を意識させるというより作品のもつ普遍的な力を引き出すことに向かうものです。第Ⅰ集を放って以来、高橋さんが探求と修練を重ね、表現のこの高みに達したことに私は感動しますし、自分の愛する音楽に対してかくも真摯に向き合う演奏家の姿に、同じ時代を生きることへの励ましさえも与えられるのです。

 高橋さんの演奏は、ソナタ第3番がショパンのもつ多彩な表現力が総動員された感のある壮麗で緻密な構築物になっていることを教えます。緩急の自在さというより、その変化の意味付けに説得力のあることが、高橋さんの演奏の一つの特色だと思いますが、第1楽章(と幻想ポロネーズ)のような多様な曲想を織り込んだ部分ではそれが実にはっきりとわかります。一つ一つのフレーズの意味を確かめながら刻み込むように奏でられるのですが、個々の部分が全体の構成をしっかりと把握した上で計量し構築されているので、それぞれが拡散することなく一つの集中に向かうのです。たとえば、最初聴いたときに驚かされた、叩きつけるような激しい音のマッス(塊)として表現される個所も、大きな高揚感が醸し出されていく流れの中で、まさにそうでなければならない表現として受け入れられるようになります。それにしても、この楽章の振り幅の大きさはどうでしょう。多彩さに向かう遠心的な力(転調も頻発し、展開部では極めて不安的な調性もみられる)とそれを束ねて統一させる求心的な力の拮抗が、壮大な歌を作り上げる様は、ショパンの天才の最高の輝きを示すものかもしれません。通常はさらりと弾き過ごされるように感じられることが多い第二楽章も、高橋さんの心憎いまでに粒立ちの揃った音の転がし方がその面白さを倍化させますし、第三楽章の各々の声部の浮き立たせ方、その強弱の絶妙な使い分けは、ショパンが夢見ただろう深い安らぎの世界へと人を誘うのです。このソナタの終楽章では、「旅路」第Ⅴ集のバラード第4番の終結部や「幻想曲」で示された、深い響きに支えられた激情的な表現が聴き取れます。主題を彩る音たちを次第に重層させながら、頂点にのぼりつめていく様はほんとに壮観で、高橋さんの演奏は、指を精密にコントロールしながらも、曲と一体化して忘我の境地にあるような迫力を生み出している点が、たまらなく素晴らしいと言えるでしょう。

 作品59の三曲のマズルカは、まるで散歩をしながら周りの情景がくるくると移り変わるのに応じて、心が揺れ、なごみ、たゆたうような感じを与える、独特の親密感をもった作品です。一見捉えどころがないように思える展開を、心象の自在な変転の面白さとして伝えるには、きっと楽譜の深い読みが必要とされるのでしょう。こうした親密な“語り”を造形できる点にこそ、高橋さんがショパンを編年的に読み解いてきたことの成果がよく現れているのかもしれません。

 一流の演奏家が舟歌を弾くとき、水と光のきらめきに彩られた、一種天国的な世界がそこに立ち現れます。二重トリルや三度と六度の並行といった難所を軽々と乗り切って、ジッドの言う「爽やかに香り立つ一陣の微風」さえも感じさせるように弾くことができれば、ピアノ音楽でこれほどまでに優美な幸福感に浸らせてくれる曲はないように思われます。高橋さんの演奏の特色は、そうした幸福感のイメージを、ショパンが抱いただろう強い憧れとともに、より奥行きをもって描き出している点にあると思います。彫りの深いトリル、経過句を奏でるときの大胆な緩急の配分、思い切った強烈な打鍵などが相まって、高橋さんの演奏は、舟歌にはもう一回り大きな世界があることに気付かせるのです。

 ソナタ第3番と舟歌は、ショパンの円熟した表現が聳え立つような高みに達していることから彼の内面の強靭さが伝わってくる曲だとすると、幻想ポロネーズ以下3曲は、サンドとの破局により失意と孤独の最晩年を迎えていたショパンが、自身の内面の千々に乱れる思いを、ポロネーズやマズルカ、ノクターンという彼が馴染んできた様式に託して、はかないまでに美しい調べとして昇華させようとした痛切な音楽になっています(幻想ポロネーズには、“聳え立つ高み”に向かう意志が最後の力を振り絞っているような切迫感があり、おそらく晩年のショパンの分岐点となる曲なのでしょう)。高橋さんはショパンの内面を深く想起しそれを一音一音に刻むように演奏することで、聴く者をその内面に寄り添わせます。これらの曲の断片的な楽想をまとめあげるのは至難の業だと思われますが、高橋さんの演奏ではそれが一つの語りとして私たちの胸に収まってくる感じがするのです。

 私はこれまで幾人かの作曲家の晩年の音楽をまとめて聴いた経験から、創造者の歩みの刻印としての音楽がいかに深みのあるメッセージを人に伝えるものであるかを感じていますが(たとえば、ベートーヴェンやフォーレはその典型です)、ショパンもまた、その生涯の創造の歩みにふれることで人間の精神の奥深さと偉大さを感知させてくれる存在であることを、高橋さんの演奏をとおして、私は発見することができました。

 素晴らしい演奏を届けてくださったことに、心から感謝したいと思います。

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