好きな女性演奏家をとおして語る20世紀末日のCDガイド

音楽

20世紀最後の日に、今年聞いて印象に残ったCDを皆さんに紹介したいと思います。それらをずらりと並べてみたところ、女性の演奏家や音楽家のものがかなりたくさんありました。そこで私が好きになった、注目している女性のミュージシャンたちを中心に、とりわけクラシック音楽好きの人に役に立ちそうなCDの案内をしてみます。(●は女性、★は男性もしくは性別に無関係なもの)

1)バッハ・イヤーにちなんで

 今年はバッハ没後250年ということで実にたくさんのバッハ作品のCDが世に出ました。なかでも私が繰り返し聞いたのは●加藤知子の「無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータ集」です。この人には英国の作曲家の「エルガー作品集」という素敵なCDもありますが(「愛の挨拶」がとりわけ有名な曲ですね)、奇をてらわずじっくりていねいに弾き込んでいる中からのびやかで曇りのない世界が広がるような演奏です。BSの番組で出演されているのを見ましたが、とても誠実な方のようで、「演奏は人なり」の感を強くしました。鍵盤楽器では年末に出たポーランドのピアニスト●エヴァ・ポブウォッカの「パルティータ集」が素敵です。以前に出た●マリア・ジョアン・ピリスのパルティータ1番を含むバッハ作品も素晴らしい音で我々を魅了しますが、ポブウォッカの演奏はもっと“自分とバッハとの対話”を感じさせる個性的なものです。それが練習曲ふうになりがちなこの曲集をなんとも味わい豊かな作品に変えているのです。クロアチア生まれの19歳のギタリスト●アナ・ヴィドヴィックが奏でるバッハはどうでしょう?そのデビューアルバム(「ナクソス」レーベルだから900円でお買い得!)で無伴奏ヴァイオリンパルティータの第3番をギターで弾いているのですが、颯爽として勢いがあり、なんだか溢れんばかりの才能の輝きをもった負けん気の強い魅力的な少女に出会ったような印象を覚えます。

 バッハの作品の中で何が一番好きか、と聞かれるなら、私は声楽を挙げます。それはマタイ受難曲やロ短調ミサを含む管弦楽付きの宗教合唱曲ということになりますが、250曲ほどもあるカンタータもこれまで聞くことができた範囲でつまらない曲は1つもありませんでした。(これは本当に信じがたいことです。私は「ものすごい多作であるにもかかわらず、どれを聞いても面白い」という奇跡のような作品群が3つだけあると思っています。ドメニコ・スカルラッティの1楽章形式の「ソナタ」(555曲ある)、バッハの教会および世俗カンタータ、そしてハイドンの弦楽四重奏曲(83曲ある)です。昔の天才たちにはどうしてこんなことができたのか、不思議です。)今年聞いたものでは★エリオット・ガーディナーが指揮した「クリスマスにちなんだ4つのカンタータ」(BWV63、64、121、133を収録)が最高でした。この祝祭的な高揚感、きびきびした音楽の運び方、合唱の輝かしさ。ちょっと悔しいけれど、「やっぱり西洋音楽から与えられる感動の“元締め”はバッハなのかな……」と思ってしまいます。バッハの声楽の素晴らしさを廉価版で満喫したいという人にお薦めなのが、★ミシュエル・コルボが指揮した「ミサ曲ロ短調/マニフィカト」(2枚組、1972年の録音、レーベルは「エラート」)です。この2曲にはバッハの音楽のエッセンスがあると私は考えています。21世紀を心静かに迎えたい方には★マレイ・ペライアがピアノで奏でた「ゴールドベルク変奏曲」をお薦めします。ピアノで弾いたものとしてはグレン・グールドの最期の演奏と双璧でしょう。

2)すごいぞ、日本人女性ピアニストたち!……そしてアルゲリッチ
 
 これまでも好きな日本人女性ピアニストは内田光子(私は彼女のドビュッシー「練習曲集」を偏愛しています)や田部京子(シューベルトの演奏が忘れられません)など、いないわけではなかったのですが、今年ほどいろいろな演奏家と出会った年はありませんでした。●廻由美子の「D.スカルラッティ集」は文句なしの楽しさで、もしこの調子で全集を完成したら、世界的な偉業となるでしょう。ポーランドに在住しショパンの遍歴を辿りながら研究を深めている●高橋多佳子「ショパンの旅路Ⅰ ポーランドの心」(作品10の練習曲集を含む)や、大きなスケールで自身の歌を奏でようとする●小山実稚恵「ショパン集」(ソナタ第2番、前奏曲集を含む)は、もう“日本人”を意識させることなどまったくない高みに達しています。●津田理子「ヒナステラ作品集」(輸入版)は、後述するようにいまだ充分に評価されているとはいえないこのアルゼンチンの作曲家への、日本人としては初めての意欲的なアプローチです。米国に在住し自身でCDの企画・プロデュースにもあたっている●岡城千歳は「プロ・ピアノ」レーベルからユニークなアルバムを連発しています。その中の1枚「ピアノ編曲による悲愴交響曲(チャイコフスキー)」は、唖然とするような技巧(よく指がもつれないものだと感心します)と見事な色彩感で、ピアノ演奏の面白さを満喫させてくれます。
 
 女性ピアニストでどうしても語っておかねばならないのが、マルタ・アルゲリッチです。私は今世紀最高のピアニストを挙げろと言われたら、この人を選びます。この人の弾くピアノには“魔力”があります。実演は接したことがないのですが(キャンセル魔として有名)、これまで3度見たテレビでの演奏でも、そして数多くあるCDの演奏でも、当たれば本当に怖くなるくらいの凄みを感じさせる集中力と人を興奮の坩堝に叩き込む圧倒的な技量があります。今年も彼女の昔の演奏がリメークされたCDなどが結構たくさん出ましたが、その中では●「1978&1979 ソロ・リサイタル」は特にすごいです。この中のバルトークのソナタやヒナステラの「アルゼンチン舞曲集」を聞いてごらんなさい。後述しますが、彼女には1982年のライブ●「ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番」のビデオがあるらしい。私は未見ですが、死ぬまでに一度見ておきたいと思わせるビデオではあります。
 
 なお今年知った女性ピアニストとして忘れられないのが、●エレーナ・リウの「21世紀のためのピアノ・イコン」です。選曲がおもしろくて、ヤナーチェク、モンポウという私が熱愛する作曲家をはじめ、現役の作曲家であるタヴナー、ペルト、スカルソープといった人たちの静謐な作品が、全体として一つの雰囲気を醸し出すように配されています。20世紀のピアノ音楽が持つリリシズムの一面を集約した感じといえばいいのでしょうか。

3)女性の声の素晴らしさ……そしてコーラスの喜び
 
 夜中に音楽を聴いて一番心安らぐのは、やはり自分の好きな声を持った女性歌手の歌に耳を傾ける時です。男性だったら女性歌手の、女性だったら男性歌手のそうした一人や二人は、きっと誰もが心に抱いていることでしょう。皆さんにとってはすでにおなじみかもしれないノルウェーの国民的歌手●シセルの「ベスト オブ シセル」を初めて聴いて、やはりその透明な声にうっとりしましたし、メゾソプラノの●アンゲリカ・キルヒシュラーガーの「ララバイ」も世界の子守歌をシルキーな声でまるでささやくようにして歌って何とも官能的でした。一方声の質は全く違うけれど、その痛烈な歌詞と“大人”を感じさせる歌唱で、私が長く親しんできた歌手●ジョニ・ミッチェルが、今年出した「ある愛の考察 青春の光と影」で、往年のスタンダードナンバーたちを、この上なく成熟した自在な歌いっぷりで歌っていて、アメリカという世界を身近に感じさせる一つの物語を作り上げていると思いました。(声の演奏ではありませんが大人の雰囲気という点では、★キース・ジャレットのジャズトリオによる1999年のライブ「ウイスパー・ノット」の2枚組も、夜にお酒を飲みながら聴いたりするのには最適かもしれませんよ。)
  
 合唱でもまた女性にちなんだ素敵なCDに出会いました。英国の様々な作曲家の作品を集めて、癌で亡くなった故人を追悼し、癌研究にも資するようにと作成された●「リンダへの花束」(輸入盤、原題はa Garland for Linda、「EMI」レーベル。リンダとは、あの有名なポール・マッカートニーの妻であり、写真家としてもベジタリアンとしても著名であった女性)です。収められている10曲どれもが短めの宗教的なテキストにつけられたきわめて美しいアカペラ合唱で、ことに4番目のジョン・ラッターの曲など、フルートと合唱の掛け合いが天国的な清澄さを生み出しています。同じくアカペラによって透明な宗教的浄化の世界を作り出しているのが、★ティモシー・ブラウン指揮ケンブリッジ・クレアカレッジ合唱団によるオムニバスのアルバムで、その名もずばりの「恵まれし魂」(原題はblessed spirit music of the soul’s journey )です(ちなみにこの天国めぐる新旧様々な曲を編集したのは先のジョン・ラッター)。さらに1968年生まれのうら若い女性の作曲家●ロクサンナ・パヌフニクの「ウエストミンスター・ミサ」を収めた、ジェイムズ・オドンネル指揮ウエストミンスター大聖堂聖歌隊のCD(輸入盤)も、いかにも現代の教会音楽という趣で興味深いです。このパヌフニクは先の「リンダへの花束」にも1曲を献呈しています。彼女のミサ曲ではハープとベルがうまく使われているのが印象的です。
しかしこの3枚を凌いで、合唱で一番の感動をもたらしたのは★アレルテ・ティッライ指揮ペーチ室内合唱団による「バルトーク合唱作品集」(輸入盤)です。すべてハンガリーおよびスロバキアの民謡をもとにした曲ですが、ほんとうに声を合わせることの素朴な喜びに満ちたみずみずしい音楽です。私は大学時代から長い時間をかけてバルトークのすべての作品を聴くように努めてきましたが、いまだに彼の声楽作品がまともに取上げられないことに不満を覚えています。このCDがきっかけになって民謡に基づく彼の声楽作品が広く知られるようになることを願います。(ちなみにバルトークの民謡研究の仕事を分析した読みやすい本に伊東信宏『バルトーク』中公新書1997があります。)
 
 声楽ではもう一枚。シューベルトの演奏家にすごい人が現れました。★ヴェルナー・ギューラがその人で、彼の歌うシューベルトの「美しい水車屋の娘」(輸入盤、レーベルは「ハルモニア ムンディ」)は、“どこか素朴な所をやどす若者”のような声の質がキャラクターと合致していること、そして全体を物語として浮かび上がらせる深い洞察力とそれに見合った声の技術を持っていることなど、聴く者に一瞬の隙も与えない名演です。若者の恋心を歌ってこれほど痛切で親密な感情を喚起する作品は、古今東西少ないのではないでしょうか。このCDは天才的な名作の驚くほど見事な演奏です。

4)モンポウとヒナステラ
 
 バルトークは私が学生時代から全作品を聴こうとしてきた作曲家ですが、もう一人そのような人がいて、それがガブリエル・フォーレです。何だか正反対の2人に思えるでしょう。ここ数年、同じように全作品を聴こうとしているのが、やはり対照的に見える2人の作曲家で、一人がスペインのバルセロナに生まれたフェデリコ・モンポウ(1893~1987)であり、もう一人がアルゼンチンのブエノスアイレスに生まれたアルベルト・ヒナステラ(1916~1983)です。片や内省的なピアノの小品群で知られる作曲家であり、片や民族主義的な激しいリズムの高揚感を特徴とする作曲家ですから、確かに対照的な面もあるのですが、ともに20世紀のピアノ音楽の可能性を広げることに大きく寄与している点、そして地域性・民族性を極めていくことで普遍的な表現様式に到達した点で、共通していると思います。
 
 モンポウについては、うれしいことに廉価版でピアノ作品のすべてを聴くことができそうです。先にも言及した「ナクソス」レーベルから★ジョルディ・マソの演奏で3枚の「モンポウ ピアノ音楽」(第1巻から3巻)が出ています。後1枚で完結しますので、彼のすばらしい音楽の世界への入口として利用してください。日本人のピアニスト●熊本マリも、以前「全集」を出していたのですが、これは残念ながら廃盤です。彼女は新たな全集をゆっくり時間をかけて作っていくつもりなのでしょう。現在市場に出ている新録音のものも、曲の配列がオムニバス形式なのはちょっと困るのですが、演奏はすばらしく、私は夜中に何度聴いたかわかりません。
 
 ヒナステラは、先に紹介した●津田のピアノ作品集以外にも、注目すべきものが2つあります。一つは若い弦楽四重奏団である★ヘンシェル四重奏団による「ヒナステラ 弦楽四重奏曲 第1番、第2番」(輸入盤)です。新宿のタワー・レコードで何故か590円の安売り値が付いて、期待せずに買ったらこれが大当たり!演奏も録音もシャープで、とても気に入っています。もう一つは、女性指揮者●ジゼル・ベンドールとロンドン交響楽団によるヒナステラの2曲のバレエ音楽「パンナビ、エスタンシア」です。これは全曲録音として世界初ですが、いやはやオーケストラが大暴れするこの激しい曲を女性が指揮しているかと思うと痛快です。それにしてもロンドン響は上手いぞ!

5)その他のよく聴いたCD
 
 ピアノ協奏曲で私が愛してやまないのは、何を隠そうロマン派音楽の最後の大輪とでも言うべきラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(有名な第2番よりさらに素晴らしい曲!)ですが、どこか壮大な日没を思わせるこの曲に、廉価版で手に入る力演(★ボリス・ベレゾフスキーのピアノ、エリアフ・インバル指揮フィルハーモニア管弦楽団)と新譜の快演(★アルカディ・ヴォロドスのピアノ、ジェームズ・レヴァイン指揮ベルリンフィル)が出ました。この曲では先にふれた●アルゲリッチの演奏(リッカルド・シャイー指揮西ベルリン交響放送楽団)が群を抜いた名演だと思いますが(一楽章のカデンツァなど何度聴いても全身に戦慄が走ります)、ヴォロドスの技巧も大変なものです。でも惜しいことにそれを見せつけるような部分が散見されて、そのために感動が損なわれてしまっています。
 
 戦後ドイツで活動した作曲家★カール・アマデウス・ハルトマン(1905~1963)を「葬送協奏曲、交響曲第4番」(輸入盤、クリストフ・ポッペ指揮ミュンヘン室内管弦楽団)で初めて聴いて、感銘を受けました。全体に流れる悲痛なトーンと、何か個人の生き方と社会や時代の葛藤を暗示するかのような激しい音のきしみ、そして対立を超えようとするかのような瞑想的な部分。調性音楽の枠を守っているので決して聴きにくくはありません。この作曲家は日本ではあまり知られていないようなのですが、社会的な背景を含めてもっと注目すべきなのかもしれません。

 以上、長々と書いてきましたが、新年のCD選びにご活用いただければ幸いです。

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