宿題とテストはいらない、家での「教育」が大事

教育

『朝日新聞』で昨年の5月に「宿題が終わらない」という連載をしていて、その第6回に

「何のため」考える余地もない大量の宿題 塾代表が問う学校側の姿勢

という記事があった(2023年5月29日付)。

私は新聞を購読していないので、このネット記事の最初の500字ほどしか読んでいないが、この記事にかこつけて、教育に対して私の思うところの一部を述べてみよう。

私は、自分の中学、高校、そして何よりとりわけ大学で、「教育」を受けた期間のことを―つまり学校というところに通った時間を―思い返す度に、「(人生で最も大事だと思える時期なのに)なんというつまらない過ごし方をしてしまったのだろう」と、悔しくも辛い気持ちに駆られてしまうのだが、そのように感じる人はどれくらいいるのだろうか。

そのように感じるわけを、自分なりに解きほぐしながら、「せめてこれからの教育はこうなって欲しい」という考えをまとめたり、自分なりにできることを実践したり……といったことは、これからもいろいろな機会に手がけていくだろう、と思っている。

今、述べておきたいことは二つある。一つは論証なしに直感的に確信していること、もう一つは自分の経験から指摘できること。それを述べてみよう。

一つは、今の学校教育を抜本的に変えるには、その改革のための系統だった構想が必要だろうと誰しも考えるだろうが―私もそのための代替案をずっと検討し続けているが―、端的に「まずはこれから始めてみればいいのでは」というアイデアがある。裏返して言うなら、「これができないようなら、どんな改革もしょせん、絵に描いた餅に終わるだろうな」と思える、そんなアイデアだ。

それはとても単純で、
・宿題を廃止すること
・点数をつけて評価するようなペーパーテストを廃止すること
である。

「宿題」と「テスト」なしで、どう生徒たちを意義のある学びに導くのか。それこそ教師の知恵の出しどころで、考えに考え抜いて自分なりのアイデアで試してもらいたいと思っている。なぜこの「宿題」と「テスト」にこだわるか、どういった別のやり方があるか、についての私なりの考えは練っているが、それはいずれ機会をみて披露しよう。

じつはこれは、次のもう一つと関わりがある。それは、家庭での「教育」が底知れないほどの意義を持っている、という点だ。

私は生物学者になりたかったが、その道半ばにして諦めて、今のような活動に従事することとなった者だ。でも、生き物と生命現象に対する強い興味は持続していて、そのことで、自分の人生がどれほど楽しく豊かになっているか、を折々に思わずにはいられない。

この地球上の生き物の世界が自分の好奇心を掻き立てやまない―という感覚が持続する限り、他人との競争やいがみ合い、などといった人生の些事に振り回されず、それらを楽々と超えていける―現にこれまでそうしてこれたし、これからもそうだろう、という気がするのだ。

この好奇心を育ててくれたのは、学校教育ではなく―ごく一部それもあるが―、明らかに母親である。

私が幼い頃の我が家はかなり貧乏で、母親が家のなかでする内職を小学校に上がる前の私がそのごく一部の作業工程を夜中に手伝っていたほどだ。出来上がった「服飾品」を母が換金のため依頼主に渡しに行く時に、私は留守番をすることになるのだが、それが夜の遅い時間で、母親が帰ってくるまで一人きりで怖かった、という思い出が何度もある。それでも不思議なことに、私が小学校に通っている頃には、夏になると生駒山の山荘に家族で1週間ほど泊まりがけて過ごせるようにしてくれたり、なけなしのお金をはたいて、動植物の図鑑や「科学漫画」やソノシートの付いた「クラシック音楽全集」を買ってくれたりした。母が家で毎晩料理する時には、「これをこうするといいんだよ」と、私を手伝わせながら、食材のことや調理法のことをいろいろ教えてくれた。そんな環境で、私が本好きになってきているとわかったからだろうか、いわゆる「性教育」に関しても、確か『家庭の医学』といったタイトルの結構立派な3巻本の事典がいつのまにか備え付けられていて、母はそれらを私がきっと読むだろう、と見越していたと思われる。案の定私は、様々な恐ろしげな名前を持ついくつもの病気のおどろおどろしい「病状」の写真に釘付けになるとともに、「性」に関する部分も目を皿のようにして熟読することとなった。生駒山で「避暑」の多くの時間は、母と一緒に植物を採取して標本を作ることに費やされた。小学校6年間の「夏休みの自由研究」はすべて、そうして作った植物標本だった。

こうして読んだり、尋ねたり、歩いたり、探したり、作ったり、味わったり……を、母に教えられてごく自然な形で身につけつつあった私には、学校は、なにかちょっと邪魔なもの、薄っぺらなもの、確かに「面白いなあ」と思える同年齢の子はそこにいるけれど、でも何だか本当に面白いことや心を通わせ合うことはそこにはあまりなさそうに思えるところ―というよそよそしい感じが拭えない場所だった(というふうに感じていたのではないかと思う)。喧嘩、家出、借金話、一家離散……良いも悪いも含めて、もっと濃密でリアルな人間模様が、一歩家を出るとその周りの、我が家同様貧しい人たちの間に存在していて、子どもながらに私は自分をその世界の一部と感じていたのだ。

学校は「上澄み」「きれいごとの世界」―それは世間というものについてだけでなく、おそらく「学ぶ」ということに対してもそうなのだ、というのが、自身の経験を通して私の抜き難い思いになってしまっている。

そんな学校から、家での大事な時間を侵食する「宿題」など、出してもらっては困るではないか……。

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