記憶のメカニズムの不思議

省察

記憶という生物に備わった機能は、生物が生きることの根幹をなしている。誰しもが「覚えている/覚えていない」「忘れる/忘れない」「思い出せる/思い出せない」……という記憶のインプットとアウトプットを、意識的にしろ無意識的にしろ、際限なく連続的に行っているので、「記憶がない」「記憶が働かない」状態は、あたかも「生きていない」ようにさえみえる。毎日の眠りは、自分という存在が消え去っている、いわば「小さな死」である。

これほどまでに身近な現象でありながら、そのメカニズムは、一部の「記憶」の研究者を除いて、大半の人にとってよくわからないままであり、ちょっと突き詰めて考えれば、不思議なことだらけだ、と言えそうだ。

例えばよく持ち出される例だが、「食事」のことを人はどう記憶している、で考えるとわかりやすい。

「1週間前の朝食で何を食べたか」を思い出せる人はほとんどいない、という事実がある。覚えていなくてもいいものは、時が経つにつれてどんどん記憶から消えていく。でも、かつての同級生たちの顔はどうだろう。別に親しくない人でも(覚えている必要などなさそうにみえるが)、道ですれ違えば、「あっ、あの人は……」と思い出すのがほとんどではないだろうか。それと似て、学校給食のメニューをかなり鮮明に思い出せる人も多いように思う。

ただ、「数日前の朝食に何を食べたか」を思い出せないことはあるにしても、「食べたこと」自体を思い出せないわけではない。もし食べたことさえも忘れてしまうのなら、それは記憶障害ということになるはずだ。でもしかし、そんな記憶障害を持った人でも、「食べ方」を忘れるわけではなく、お腹が空いて目の前に食べ物があれば、自然に手を伸ばしてそれを口に入れてむしゃむしゃと噛み潰し始めるだろう。「食べる」という動作そのもののややり方を忘れてしまう、などということは、まず起こり得ない。

こんな荒っぽい考察だけからも、記憶の作動方式が一様ではないことが推察できる。「物忘れ」も恐らく、記憶のメカニズムの様々な作動具合に応じて、いろいろなパターンに類別できるのではないかと思う。そのあたりを、現在の科学でどのあたりまでわかっているのかを調べると、とても面白いだろうな、という気がする。

タイトルとURLをコピーしました