東京タワーは、市民科学研究室での調査で明確なオリジナルの結果を出すことのできた調査対象として、非常に思い出深い存在です。
半年間をかけて、半径2キロ内の約400箇所で電波の強度を克明に測って、その分布と特性を明らかにした、というものでした。
論文「東京タワー周辺地域における送信電波の電力束密度測定」
毎週1回か2回、毎回数時間歩き回ってデータをとりましたから、あのあたりの町並みや地理にはやたら詳しくなってしまいました。
また、ご存知のように、港区には大使館が多くて警備も厳しいですから、あのものものしい真っ黄色の測定器ERM-20 を持ってうろうろしていると(こちらの写真をご覧ください)、警察や警備員に呼び止められて、「身分証を出せ……」などと言われることも何度もありました(特に9.11の年だったので、ひどかったです)。
そのたびに、身分証らしきものを常時携帯していない私は、いつも同行してもらっていた共同研究メンバーの女子学生の方に学生証を出してもらって急場をしのいでいました。
最終的に論文を書くために、東京タワーの電波に関する詳細なデータ(電波諸元、といいます)を集めて、理論解析し、実測データを突き合わせる必要があったのですが、東京タワーを所有する「日本電波塔株式会社」にどんなに執拗に迫っても、ある肝心なデータは出してもらえませんでした。NHKのライブラリーや、国会図書館にも通い詰めて、いろいろな論文にそのデータが記されていないか徹底的に調べましたが、見つけられなかったのです。
周りの建物の遮蔽によって、ある地点からタワーのどの部分までが見えるか、ということと、実測値の変化が何らかの対応を示しているように思えて、それを理論的にも裏付けようとしていたのですが、私の推測が正しいかどうかを、電波伝搬分野では日本の第一人者である、東工大のT先生に相談することまでしたものの、やはり「(電波諸元の)◯◯のデータがないと導けない」と言われてしまい、帰り際に立ち寄った大岡山の喫茶店で、論文の詰めの作業をするつもりが、二人ともとても気が重くなって、ボソボソとしか言葉が交わせず、「これではいい論文は書けないよね……」「そうですよね……諦めましょう……」と締めくくるしかなかったのです。
家に帰って、私はどうしても諦める気にならず、一睡もできないまま考え続けて、ある別の簡単な解析方法が使えるのではないか、と思いつきました。
早朝にメールをして、「△△という方法(式)が使えそうなので、エクセルでその式を使ってグラフを書いてみてくれませんか」とお願いすると(その学生さんはエクセルが得意)、数時間後に電話がかかってきて、「なかなかきれいな図になりましたよ! 予測があってたみたいです」との返答。
自然科学の研究に携わる人なら、誰しもこれに類した経験はするものだと思いますが、さすがに半年をかけて全部のデータを自分で集めてきた苦労があったものですから、これは嬉しかったですね。完璧ではないけれど、85点くらいの論文にはなったかな、と思える経験でした。