『はだしのゲン』の思い出など

教育

先ほど、NHKの「クローズアップ現代」で漫画『はだしのゲン』が広島県の平和教育の教材から排除されることになった経緯を扱っていた。

この漫画は私にとってじつに想い出深い漫画だ。確か完結したのは私が高校生くらいの時だったように思えるが(全10巻)、その最初の数巻は私が中学生の頃に、「なんか原爆のことが出てくるおもろい漫画があるよ」と1歳年下の妹が手に入れて、その妹よりもう一つ年下の弟との3人で競い合うようにして―奪い合うようにして―読むこととなった。いい歳をした中学生の私と小学生の妹、弟で、『はだしのゲン』に出てくる印象的な台詞をお互いにまねてしゃべりあうこととなった―つまり「おどりゃー」をはじめとする広島弁が我が家の子どもたちの間で大いにはやったのである。疎開先で陰湿ないじめをする「タケオ」とその妹のモノ真似も、3人の間で随分受けたように思う。

それくらいに、この大河漫画は子ども心をつかんだのだ。後に読むことになった後編の「青春編」で隆太や勝子の出てくる展開では、ヤクザがからんだエグい殺傷シーンも出てきたが、それらも含めて、「人間が虐げられるってどういうことなのか」「すさんだ世の中で生き抜くということはどういうことなのか」を、これほど迫真的に伝えてくれる作品はほとんどなかったように思うのだ。

私には、『はだしのゲン』を「平和教材」として扱う云々の話はほとんど心に響かない話題で、とにかく、戦中・原爆被爆・占領期の庶民の生き様を姿を心に焼きつけるのに、これほどの作品はなかなかないのだ、という思いが強いので、「すべての学校のすべての教室にこの10巻の漫画を備えておくこと」、ただそれだけで十分に「平和教育」になると思っている。

もし授業で「平和」を教えたいなら、とにかく現代史を扱って、子どもに「なぜそんなバカなこと・恐ろしいことを、当時の人々はしてしまったのか」という疑問を強烈に子どもに植え付けるだけでいい。その「なぜ?」を解き明かすその後の学びは、学校などでは到底扱えないほど果てがない。現に私も、例えば最近安く手に入れた荘魯迅・著『1冊でつかめる!中国近現代史』(講談社α新書2009年)を通読したが、書かれた史実の4分の3ほどは知ってはいたものの、著者の個人的な体験談や批評も折り込みつつ骨太に語られるこの通史から、「列強諸国からなんという苦渋を舐めさせられることになった国であることか、中国は!」の思いを改めて深くした(それがために現体制を擁護するつもりはまったくないけれど)。そう、本当にこうした学びには終わりがないのだ。

タイトルとURLをコピーしました