3冊読破で単位取得・卒業

教育

私は聴講型の授業があまり好きではない。

講師の話が大いに刺激を受ける、興味深くて感銘を覚えるようなものなら別であるが、そんな講義はめったにない。ほとんどは、「どこかの本に似たようなことが書いてある」内容を水で薄めたようなものであり、その講師しかできない語り口のうまさを感じさせるものは極めて少ない。もう随分前から私は、「どんな本にでも書いてあるような内容を、どんな本でも書いてあるような説明の仕方さえもできないような講義は聴く価値なし」と心に決めて、講義であれ講演会であれ、そんな時は遠慮なく俯いて寝るか、こっそりと本を読むかしている。

このことと関係するが、講義や講演ではせっかく聴講する人がそれなりに集まるのだから、もっと議論をさせてみては、といつも思う。もちろん議論にはそのためのネタが必要で、それを最初の10分か15分で講師が問題提起することができるはずだ。議論の成り行きに応じて、必要な補足情報や知識を適時提供することもできるだろう。限られた時間で、うまく議論を誘導し、なにか一つでもそれぞれの聴講者に「今日は〇〇について自分で考えて、今までに得られなかったものを得た」と実感できるようにする。その実感があれば、必要な知識はたいてい、自分で調べるなりして身につけていけるものなのだと、私は考えている。

だから高校や大学の授業では、例えば一つのやり方として、1年かけて必読の名著や教科書を、例えば3冊指定して、次のような進め方をしてみることができるのではないか。

「1年でこの3冊を読破してくれ」「読んでいる途中で出てきた疑問や自分の見解を持ち寄って議論する機会を作るから、それに参加してもよい」「自力で読破できるものは授業に出なくてよい」「ただし、読んだ本の内容を徹底的に理解していないと書けない(あるいは解けない)論文試験(あるいは演習問題)を終わりに出すので、それに合格しないと単位は出さない(あるいは卒業できない)」

少数の書物を、限られた時間のなかで、他人との議論も交えながら、深く深く読み込んでいくことで、学問と言わず、どのような知的な活動にとっても不可欠となる基礎が養われる。

この修練を経ていない人が表明する言説は、どこか頼りなく、独りよがり的な感じがする……というのは言いすぎだろうか。

◆今日のおすすめ
なんという爽快さ。そして極端な弱音を生かした、さわれば壊れそうなほどのデリケートな感情表出。こんなロマンチックなハイドンはありなのだろうか? 驚いてしまった。
ハイドン:ピアノ・ソナタ第10番、第38番、第42番、第60番(バルト)

タイトルとURLをコピーしました